学校を巻き込むな
「国葬(9 月 27 日 対応を巡り要望書」 読売新聞 2022 年 9 月 23 日付 のとおり、我々は横須賀市に提出した。国葬については、国葬当日も最後まで抵抗の姿勢を止めず、朝の通勤、通学路である Y デッキで行った。しかし、国葬は執り行われた。国会で審議されずに、閣議決定だけで決められた国葬は、国論も二分されたままであった。
子ども達に、国葬をどう説明するのか。
前号で掲載した社民党党首の福島みずほ氏と宇都宮健児氏も、国葬が及ぼす子供達の影響を大いに懸念していた。
我々は、国葬の日に学校や教育機関に、弔意や半旗を強要しないように要請したに留まらず、独自で市内全域の教育機関に朝の登校日の時間帯に絞り調査をした。
その結果、市内1 校の半旗が確認できた。管理職のコメントは、次の通りである。「市をあげて、半旗を掲揚しているんだから、 半旗を 掲揚している。」ということであった。
そこで、市に今回の学校対応を巡って、返答を求めた結果同年 10 月 3 日付再要請書 、次の文書がきた。「学校には、半旗を求めていない」ということであった。解するに、学校は市に要請はされていないが、市側は、東京新聞の記事 (2022 年 9 月 6 日付 で「国葬の当日に、市役所本庁舎や行政センターで弔意を表すために、半旗をあげることを 5 日に、横須賀市長は発表した」ことから、学校側は同じように弔意を表さなければいけないと判断し、半旗をあげたのか。だとしたら、これは本当に重要な問題である。
本来、学校は政教分離である機関でなければならない。
しかし、時の政権が独断で断行した儀式に、加担しなくてはならない暗黙の影響が及んでいることが、今回の小学校の半旗掲揚で判明したことになる。
再要請書で、我々はもう一度、横須賀市にお願いをした。この渾沌にまだ終わりが見えないのを前提とし、学校を政権の情勢に加担させないでほしいと要請した。
尚、今回の調査の過程で、半旗を掲揚しているかについて、管理職の確認をした上で、一切、答えないと言う小学校が存在した。この事実は、この国葬をきっかけに、半旗をあげたかどうか以前の重大な問題であることがわからない管理職がいたということである。公的な教育機関でありながら、かたや「開かれた学校」としながらも、社会的な情報を市民に対して、隠匿、隠覆 いんとく、おんぷく した事実である。隠さなければならない事を、学校で子ども達に伝えられるのか。第二次大戦中に、学校が、教育が、生徒が巻き込まれ、戦争に加担していった負の記憶を忘れてはならない。教育は誰のための教育か。
二度と起こらないように、いつまでも問い続ける。